世の中はクソである。

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居場所がほしい

進化論とは結果論。-強い者ではなく変化した者が生き残った。というより生き残ったものが生き残った-

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世の中の進化論について、僕は少し違和感を感じる。

進化論についてよく耳にする言葉がある。

 

『強い者ではなく、変化したものが生き残る』

 

この言葉はある種進化論における鉄板ワードで聞いたことのない人はいないと思う。

 あたかも今日まで命を繋いでこれた理由は『変化したおかげ』と言わんばかりであり、僕はこのニュアンスは少し変化を買いかぶり過ぎていると思う。

 

確かに強い者が生き残ったとは思わない。

しかし、変化したから生き残ることがでた。

はたしてそう言いきれるか?

 

僕は状況に変化できたものが生き残ってきたというより、偶然その状況に優位だったものが生き延び、そうでないものが淘汰された。つまり進化論とは割りと「運」だと思う。

 

犬や猫なんて動物としてのくくりでは他の動物となんらかわりないのに、生物の頂点に君臨する人間に『たまたま好かれた』という理由で繁栄している。

彼らは人間にとってたまたま可愛いかった(タイプだった)のだ。

一方で牛や豚は可哀想だ。

たまたま肉として美味しかったばかりに、駆逐され家畜にされている。

しかし、牛の世界でもインドで生まれた牛は勝ち組かもしれない。たまたまインドがヒンドゥー教であったため食べられずに済んでいる。イスラム教圏下にいる豚もそうだ。

 

つまり上記の例で言うと犬や猫が今日まで繁栄してこれた理由は『自身の変化のおかげ』と言えるだろうか?

たまたま社長に気に入られた。

そんな感じで「強い偶然」における優位があったと思う。

 

また、ガラパゴスのようなポジション的優位でたまたま生き延びた生物の例もある。

 同じ種でも他の地域では天敵よって淘汰されてしまった生物がたまたまガラパゴスのような閉ざされた環境にいたため天敵もおらず運よく生き残ることができた。

他の地域では気候変動の影響で、生きていくことが困難になったが、自分の島ではたまたまその影響がなく生き残ることができた。

 

たまたま脅威となる競争相手がいなかった会社、また不況の影響を受けなかった会社。

そんな感じでこれもまた偶然における優位性があったと思う。

もちろん上記の例で言うと、仮にもとは別の場所にいたのに、天敵や気候変動から逃れるためわざわざガラパゴスに移り住み淘汰を間逃れた生物は環境に適応した、つまり「変化したおかげ」と言える。

 

しかしながらそれでも進化論とは『強い者ではなく、変化したものが生き残った、と言うより生き残ったものが生き残った。』

つまり結果論の方がより本質に近いと思う。

命を繋ぐことができた要因は「偶然」の方が「変化したから」よりも大きく、変化すら偶然の可能性もある。

 

『進化論は結果論』と言ってしまえば、そりゃそうだと全てがの議論が終わってしまうかもしれない。

しかしそれぐらい進化とは複雑なものであり、一概に変化したから生き残ったと言うには少し詰めが甘いような気がする。

我々生物は、運命のように全てが決まっているとまでは言わないが、個ではどうしよもできないコントロール外の要因でたまたま生き繋いでいると思う。

生物の頂点に君臨する人間は変化できたからここまで繁栄することができたのか?

それもあると思う。

しかし一歩違えばテラフォーマーズの様にゴキブリが支配する今があったとしても何もおかしいことではない。

生物は地球様の鶴の一声で繁栄したり滅んだりもする。

『変化したから』なんておこがましいのではないだろうか。