恥をかけない人間に成長はない。
『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』というように、目の前の小さな恥を恐れている人は今後の人生においてノビシロは少ない。
わからないことを相手に悟られるのが恥ずかしくてわかったふりをする人と、
わからないことを素直にわからないと認め教えてもらう人。
自分の間違いを認めるのが恥ずかしくてその場を流す人と、
どんなに小さなことでも自分の過ちは認め、ちょっとしたことにも「ごめん」と言える人。
前者には学びと反省がなく、後者には学びと反省と未来がある。
些細な事を含めれば、この「小さな恥」を受け入れるかどうかを選択する機会は日常生活においてわりと多いと思う。
そして毎度小さな恥を恐れる人と受け入れる人では、歳をとるにつれて人生圧倒的な差がひらくと思う。
以前海外に長期で滞在した時思ったのだが、英語が上達しない日本人の多くは英語をうまく話せないことを恥ずかしがり、積極的に話そうとしない。それ故に上達が遅い。
小さな恥を気にして、学びが犠牲になっていた。
そしてその小さな恥を恐れ、学ばない人や反省しない人というのはたぶん生涯ずっとそうである。
些細な事から大きな事まで全部ずっとそうだ。
僕はそういう人とは付き合わないことにしている。
小さな恥を気にして学びを犠牲にするなんて非常に惜しいことだと思っている。
そして些細なことかもしれないけど、僕はこの点を非常に大事にしている。
なぜなら長い目で見ると大きく差が開くからだ。
一時の恥を受け入れあえて死に、そのぶん後の一生を大きく生きたい。