世の中はクソである。

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居場所がほしい

見返りを求める親切はむしろ迷惑である。正しい親切の仕方について。

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世の中には、世話好きの人がたまにいる。次から次へと人に与えることに快感を感じている人達だ。一見すると「いい人」だし、実際にその人達のネットワークは広い。

僕はこういった人が大嫌いだ。なぜならばこの人達は、自分が親切にしているのだから自分も親切にされて当然だと思っている。

自分からすすんで親切にしているくせに、親切にされないと裏切られたと言わんばかりに態度を急変させる。全くもって迷惑な存在だ。

勝手に親切にしといて勝手に怒る。そうなるのでればむしろ迷惑だし、こちらも感謝したのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

正しい親切の仕方。

さてここまでは世話好きの人の話だった。親切というのは使い方を間違えるとただの迷惑行為だという最たる例だ。しかし、ここまで極端にはいかなくても親切とは案外難しい行為ではないかと思う。

なぜなら、一つは世話好きの人のように親切にした相手には自分も親切にされるべきだと思ってしまうということ。

もう一つは、親切をする際は相手に喜んで欲しい気持ちが少なからずある。つまり感謝を期待してしまうが故に万が一「ありがとう。」を貰えなかった場合、不快な気持ちになってしまう。下手すれば腹が立つ。

つまり、いずれにせよ親切をする側は何一つ見返りを求めるべきではない。しかし喜んで欲しい気持ちがあるが故に少しは感謝や見返りを期待してしまうのもまた事実だと思う。

じゃあ親切とはどのようにすべきか。

これは僕流だが、まず基本的にあまり親切はしない。もしするのであれば100%自分のためにする。それは単純に何かしらのメリットのためでもいいし、ただ自分が楽しいからとかでもいい。

言い方は変だが、自分のために相手を利用するマインドで親切にする。そうすると見返りはいらない。すでに貰っているからだ。

むしろそれで感謝された場合、「自分のために親切にしただけなのに、感謝されてらぁ(ハナホジ)」とお得感がでる。

つまり100%自分のためにする親切とは、する側にとっては親切のつもりではないが相手にとっては親切だという「親切」をすることである。

また、どうしても相手のために親切をする場合は「親切をしてあげた。」なんて思わないようにする。

気まぐれだ。何か虫の居所がよかったから親切にした。それだけだ。どうでもい。と自分に言い聞かせ、極限まで「ありがとう。」を期待をする自分を殺す。

そしてできれば「親切にしてあげてます。」オーラを消してあげると、相手に負担がかからずより良い。ここまでできれば完璧だ。

まとめ

・基本的に無理して親切はしなくていい。

・親切をするならば100%自分のためにする。

・どうしても相手のために親切をする場合は極限まで「ありがとう。」を期待する自分を殺す。

これが正しい親切の仕方だ。