それは本当に努力が足りないせいなのか?平等なフリをする不平等な世の中。
人は事がうまくいくと「努力したおかげだ!」「頑張ったからうまくいった!」とか言いだす。そしてうまくいかない人をみると「お前は努力が足りない!」「もっと頑張れ!」とか説教をしだす。
バカたれが。とぼくは思う。
それは本当に努力のおかげ?
成功できたのは「努力」のおかげだと?その考えは完全におごっている。確かに努力もあるだろう。
しかし実際に成功できた要因の内、どだけの割合が「努力のおかげ」だっただろうか?おそらく、たかだか数%にすぎないと思う。きみが成功できたのはほとんどが努力のおかげではない、ということを認識してほしい。もっと違う所に理由があるのだ。
東大に合格できたのは「努力したから」「必死になって毎日勉強したら」と東大生は言うかもしれない。
しかし実際それは氷山の一角であり、根本的には違う。なぜならば仮にぼくが必死になって毎日勉強してもたぶん東大には合格できないと思う。(それを言うとどうせまた「努力が足りない」とか言われるのだろうけど、これは事実だ。)
ぼくは勉強が苦手だ。というか記憶力がなさすぎる。今の暗記型の試験では確実に良い結果をだせない自信がある。かなり追い詰められても無理だと思う。
ではなぜ東大生は東大に合格できたのか。主な理由は努力ではない。本質的に彼らはもとから頭が良かった(記憶力に長けていた)からだ。
そして次に、親に経済的な余裕があり塾や教育に投資できたからだろう。さらに言うとその背景には、家庭環境に問題がなく勉強に集中できたからかもしれないし、また、時代があっていたからということもあるだろう。とにかく挙げればキリがない。
まぁ、1に才能、2に環境といったところだろうか。努力なんて牛丼の紅生姜にすぎない。
それらの恩恵をあたり前のように備え、生きている人達にはわからないと思う。しかし、備わっていない人達にとって、水面下ではそんな「目には見えない圧倒的なハンデ」が確実に存在する。
でも表向きはあたかも平等なフリをしているから、強者は「ぼくがきみたちに勝ったのは努力したからだ。」とか言い出す。そして世間もそういう風潮になってしまう。
平等なフリをする不平等な世の中
足の遅い人が努力しても、もとから足の早い人にはたぶん敵わない。努力もする足の早い人には確実に敵わない。
世の中で勝ち組と言われている成功者達も、もし仮に顔がひどく不細工に産まれていたら、今と同じように成功することはできただろうか。顔が悪いと何もかもが向かい風だぞ。
デブは自己管理能力がないと言われてるがほんとにそうか?原因は主に遺伝ではないのだろうか?
あたり前に備わっていない人達にとって公になかなか理解されないが、実際は圧倒的なハンデがそこにはある。見えないハンデ、見えない格差、そして誤解と偏見だらけだ。
ぼくらのスタート地点は皆違うのに、あたかも同じような設定で世の中が動いている。
まとめ
平等なフリをする不平等な世の中。そんな世の中でうまくいかない理由を全部「お前は努力が足りない!」と切り捨てるのは、あまりにも心無く残酷だと思う。
そして強者はもっと自分がうまくいっているのは努力のおかげではなく、恵まれていたからだという自覚を持って欲しい。もっと優しくなって欲しい。