世の中はクソである。

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居場所がほしい

高尚さとは何なのか?

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「高尚さ」「低俗さ」とは一体何なのか?と疑問に思ったことはないだろうか。ぼくは基本、本は読まず漫画派の人間なのだが、ある時、意識高い系読書家の友人に漫画ばかりを読んでいることを鼻で笑われたことがある。「もっと本読めよ」的な。

その態度には「本は高尚であり、漫画は低俗だ」というニュアンスが溢れんばかりに詰まっていた。その上から目線にぼくは腹が立った。

コンテンツの優劣はあっても、フォーマットとしてなぜ本の方が漫画より格式が高いのか?

その日以来、「高尚さ」について悶々としていた。高尚さとは一体何なのか?

そして1つ理解したことがある。ぼくが友人の態度を「本は高尚であり、漫画は低俗だ」だと感じたのは、彼がそういうニュアンスで言ったことは元より、ぼく自身「本は高尚であり、漫画は低俗だ」という世間の認識を知っていたからだ。

要するに「高尚さ」とは世間のみんなが高尚だと思うが故に高尚なのだ。

例えるのであれば「お金」と一緒で、お金はみんなが価値があると思っているから価値がある。

インターネットのおかげで無料で様々なコンテンツを楽しめるようになったように、今後ますますお金がなくてもできることが増え、楽しくやっていける時代になれば、「別にお金なんてそんなに頑張ってまで稼ぐもんでもない。」と、お金の価値は薄れるだろう。

それと同じで、みんながなんとなく本は漫画より高尚だと思っているから高尚なのであって、絶対的な格式ではない。未来では漫画の方が高尚に扱われる可能性はありうる。

高尚なものをそもそも人はなぜ高尚だと思うのか?

それは身分制度があった頃、本当に貴族しか嗜むことのできなかった物事を庶民は価値があると感じ、高尚なものとして位置づけた、その名残でもあるだろうし、「本を読む」という知的な印象からくるイメージとしての格式の高さでもあると思う。高尚さの発生源は様々である。

とにかく「高尚さ」とはみんなが高尚だと思うが故に高尚なのであって、絶対的なものではない。そして高尚かどうかなんてどうでもいい。自分が価値のあると思うものを信じればいいのだ。