世の中はクソである。

世の中はクソである。

居場所がほしい

損をするとわかっていても自分の気持ちに逆らうことができない。

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はみんな自分の気持ちがあり、考え方があり、哲学があり、信念がある。そしてその気持ちが強ければ強いほど、その気持ちに逆らうことができない。時にその気持ちに反することで不利益を被ると分かっていたとしても、どうしてもその強力な力に逆らうことができない。

くは例え仕事だとしてもムカつくお客さんには、どんなに平静を装ったとしても絶対顔にでてしまう。また、嫌いな上司にどうしても媚びることができない。そんなこといちいち気にしていては仕事なんてやっていけないのはわかっている。ただ強力な磁力のようなもので、これ逆らうことができない。

その気持ちの根底には、仕事だろうが客だろうが上司だろうが後輩だろうが1人の人間として人は皆フラットである。仕事だからという例外はない。というぼくの考えがあるからだ。だからぼくは仕事はできない。世間的な言い方をすると完全に不器用なやつである。

学校の頃のぼくは勉強ができた。勉強することが楽しかったし、どんどん吸収し、どんどんいい結果がでた。しかし、中学校に入り突然「あれ?これってそういえば将来なんの役に立つんだろう?」と思った瞬間から、一気に成績が落ちた。今までがまるで嘘だったかのように、まったく吸収しなくなった。

それは勉強が将来どこで何の役に立つのかわからず、ぼくの頭が勉強を「やる必要のないもの」と断定し拒否したからだと思う。そしてその考えに結局最後まで逆らうことができなかった。

金持ちになる条件のような記事や自己啓発本が巷では腐るほど存在するが、その条件として最も基本的なことはまず「お金もちになりたいかどうか」だと思う。お金に興味のある人間だからこそ、お金を稼ぐために行動ができるのだ。

ぼくのようにお金にさほど価値を感じていない、お金と幸せはあんま関係ないと思っている人間にとって、お金は生活するためだけのものであり、故にお金を稼ぐことは非常に困難である。

金に興味がない、しかし生活のためには稼がなくてはならない、だけどやっぱり興味がない、だから仕事にも精が出ないし、頑張れない。でもやっぱ働かなければならない。そうすると幸せの本質はお金じゃないという思想がいつも邪魔をしてまた頑張る気になれない。そしていつもその狭間をゆらゆらと行き来している。もう完全に仕事に不向きな人間である。

はみんな自分の気持ちがあり、考え方があり、哲学があり、信念がある。それらを総称して「思想」と呼ぶのであれば、それが強ければ強いほど人は思想に逆らうことができない。逆らうことが容易にできる人間は、いい意味でも悪い意味でも特にポリシーのない人間なんだと思う。

思想は人の行動を完全に支配する。思想というのは例えるなら積み木である。その思想の上に積むことのできる行動は、その思想に沿ったものであれば積みやすく、沿っていないものであれば積むことが困難である。