世の中はクソである。

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居場所がほしい

ナチュラリストはなぜ肉を食べることができないのか。

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チュラリスト、ロハス、スピリチュアル、パーマカルチャー、ヒッピー、ヨガ、マクロビ、このあたりの属性の境界線は曖昧なのでここでは総称して「ナチュラリスト」と呼ぶことにする。

彼らは基本肉を好んで食べない。食べる人もいるが、あまりがっつりとステーキや焼肉は食べない。その辺は思想の度合による。強い信念をもつナチュラリストはヴィーガンとよばれ魚や卵さえたべない。

食べない理由はもちろん美味しくないからではない。ナチュラリストの特徴の一つとして自然愛があげられる。彼らは自然に癒され、自然に救われた人々なのだ。そんなナチュラル思想は彼らの人生の基盤になっている。

なので肉を食べてはいけないという決まりはないが、そこに「私たちは自然や動物を愛するのになぜそれを食べてしまうの?」という矛盾が生じ、肉を思い切り食べることができない。

かしナチュラリスト達は自分たちの思想を自分の言葉でうまく表現することができない。というかそもそもそういう感情の言語化の苦手な人たちだ。

だから「いやぁ、最近肉が美味しいと思わなくなってきた」とかあらぬことを言いだし、「肉を食べない方が体の調子がいい」と健康重視の発言をしながら巻き煙草をふかす。

さらにはオーガニックのレストランでアホみたいに高く、それでいて手のひらサイズしかない小さなヨーグルトをありがたそうに食べている。

それを横目にぼくは「食ってるけど喰われてるぞ!オーガニックという市場、資本主義に。」と思うのであった。

想というのは人間の行動を支配しているなと改めて思う。ナチュラリスト達は自分たちの欲望とそれを支配する思想との間をゆらゆらと行き来している。

そしてゆらゆらと行き来していることに自分自身気づいていない。肉を食べてしまうと彼らの生き方にとって一貫性が保てない。だから肉はふさわしくないと無意識に自分に言い聞かせている。

ナチュラリストの生き方は一見シンプルに見える。あの自然素材を使った色とりどりのファッションが人間の「原点」を連想させ、「原点」が「シンプル」を連想させる。しかし実際はシンプルではない。彼らの生き方はむしろシンプルから一番遠いところにあるように思える。

 

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