世の中はクソである。

世の中はクソである。

居場所がほしい

大人はもっと子供の前で間違いを認めろ。

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端で子供が親に叱られて泣いていた。何がどうしたのかわからないが、親が一方的に子供を叱っている。大人というのは常に子供に教える側であり、それ故常に一方的だなと以前から感じていた。

学校でもそうだ。先生はいつも絶対的な存在で先生の言う事が正義である。子供たちは大人の言うことは常に正しいと疑う余地もない。

ぼくの小学校時代を振り返ると、なぜに先生たちはあんなに毎度毎度一方的に怒り、ブチ切れていたのか人間性を疑ってしまうほどだ。

かしながら、自分が今大人になってどうだろうか?私たちは自分ですら自分を常に正しい方向へ導けているだろうか。そんなことはない、むしろ常に失敗の連続である。大人だってあたり前に不完全だ。わからないことで溢れている。

それを自分でもハッキリとわからないまま「ああしなさい、こうしなさい」「ここはこうするのよ、わかった!?」と頭ごなしに押し付けていては、子供たちは考える余地もなく、結果、思考停止人間になってしまう。そして彼らが大人になったとき、自分の子供に同じように接する。思考停止のループだ。

くはもっと大人は間違いを素直に認めるべきだと思う。そして間違うことはあたり前であり、大人だって不完全な存在だという事をもっと子供に教えるべきだと思う。

大人は子供を舐めすぎている。もっと大人子供関係なく平等に扱うべきだ。親も先生も、大人という立場を濫用しすぎている。

もっとフラットに是々非々で間違いは素直に認め、わからないことは一緒に議論すべきだと思う。それができるのが本来、大人であって欲しい。もっと肩の力を抜き、いい意味で大人げなくていいと思う。