食の御託を並べる奴は間違いなく食を知らない。
食の世界というものはまさしく人間社会の縮図だなと感じます。
ハッキリと断言します。「食」の御託を並べる奴は間違いなく「食」を知りません。
「○○産の○○でー」とか軽いうんちくは食事を楽しいものにしてくれますが、それを偉そうに語る人や、高級レストランを異常にありがたがる人は自ら「私は食を知りません」と吐露しているようなものです。
なぜならば「食」の基準というのは100%自分であり「完全に自己満足の世界」だからです。しかもそれでいいし、それ以上でもそれ以下でもないのです。
仮に全世界の全ての人が「マズい」と言う料理でも、自分が「ウマい」と感じれば、その料理はウマいのです。他人の評価なんて1ミリも関係もありません。
高級レストランを異常にありがたがり、自慢をする人は、ブランドものばかりを身に着けている人と同じで薄っぺらく自分の哲学のない人です。自分の判断基準がないから他人の評価を良しとする思考停止の人です。
もちろん高級レストランにも行ったことありますが、普通に美味しいです。しかし、普段食べている「卵かけごはんと味噌汁」も普通に美味しいです。これを理解している人は「食を知っている人」だと思います。
これは食だけでなく芸術もファッションも教養も世の中のものはみんなそうです。自分がいいと思えばそれが答えだし、本来自分以外の基準など全く必要ないはずです。
なぜ自分にとっての価値だけで済む問題を、わざわざ社会の価値という流れの中に放り込んでしまうのでしょうか?人間とは社会的な生き物だから?それはわかります。しかし、もっとこの部分に自覚的であるべきだと思うのです。
社会的な価値に依存するということは、いつまでもその価値の中で優劣を競わなければならないという事なのです。
だいぶ食の話から逸れてしまいましたが、特に「食」なんて周りの目もクソもないことです。人に見せるわけでもあるまいし、自分がウマいと思えばそれはウマいのです。
食の御託を並べる奴はむしろ一番食をわかっていない、ただのブランド野郎なのです。
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