常識はどうやって生まれるのか?という話。
僕は以前よく海外へ旅に出ていたのですが、外国人に聞かれる「日本ってなんで○○なの?」みたいな素朴な疑問って結構困ってしまうんですよね。
要するにそれって日本の「常識」なんですが、この常識というものは「そういえば何でだろう?」って考えても意外と理屈で説明できないことが多いんですよ。
じゃあ何で「常識」と呼ばれる世の中のあたり前のことが、こうも論理的に筋が通っていないのか?と言うことを今日はお話しします。
5匹の猿の実験
これは有名な実験で、知っている方もいると思います。
①5匹の猿がいて、梯子の上にはバナナがあります。
②1匹がバナナを取ろうとすると、残りの4匹に冷水がぶちまけられます。
③なので誰かがバナナを取ろうとすると、残りの猿がその猿を攻撃するようになりました。
④そして誰もバナナを取らなくなりました。
⑤この状況で1匹だけ新しい猿と入れ替えました。新しい猿はもちろんバナナを取りに行こうとしますが、残りの猿達にボコられます。理由もわからないまま..。
⑥更にもう一匹新しい猿と入れ替えました。当然その新人2号もバナナを取りにいこうとします。先ほど理由もわからないままボコられた新人1号はこの時他の猿と一緒に新人2号をボコります。未だに理由はわかっていません。
⑦こうして一匹づつ新人の猿と入れ替えていき、その度に猿達は同じことを繰り返します。そしてはじめにいた全ての猿が新しい猿と入れ替わり、もはや誰も冷水の事情をしりません。
⑧それでも相変わらず、誰かがバナナを取ろうとすればみんなでボコるという習慣は残ったままです。誰もなぜボコるのかわかりません。ただ「ずっとそうしてきたから」と言うのです。
人間社会もこれこそが「あたり前」や「常識」の正体だと思います。そしてこの実験でいう「冷水」も時代と共に既に正体が判明し、克服できているのにも関わらず、習慣だけが残っている。
だから「なぜ?」か考えても答えが見つからない。ということだと思います。
常識というものを一度疑うクセが身につくと、このような「あれ、おかしいぞ?」と思うことが垢のようにボロボロ見つかりますよ。
最後に、こちらも「常識」と同じような類なので紹介します。ざっくり言うと根拠のない言い伝え「迷信」はどうやって生まれるのか?みたいな話です。興味があれば是非。