世の中はクソである。

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居場所がほしい

中島義道「カイン—自分の『弱さ』に悩む君へ」を読んだ感想。

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前回記事にした「不幸論」、そして記事にはしていませんが「働くことがイヤな人のための本」、そして今回「カイン—自分の『弱さ』に悩む君へ」を読んだので感想を書いてみようと思います。

中島義道氏の本は3冊目なのですが、3冊目になってくると少々内容が被りはじめてきたので、気になる部分だけ掻い摘んで読みました。

ちなみに僕は中島氏に比べると軽度ですが、感受性のマイノリティ(カイン)を自覚しています。そんな僕がいくつか刺さった文章を挙げてみます。

無意識にマイノリティを迫害するマジョリティ

譲り合いの精神とは、じつは文字通りの譲り合う精神ではない。マジョリティに属している者同士が譲り合う精神なのであり、マイノリティに属している者は一方的にマジョリティに合わせる精神なんだ。

公認(身体障害者、少数民族、老人等)されたことしか譲り合わない。それがマジョリティが掲げる譲り合いの精神である。

つまりわが同胞はマジョリティに断罪されないように、排斥されないように、必死な思いでひたすら「譲り合う」のさ。

つまり公認されている身体障害者や少数民族、老人等の「弱者」に対しては手を差し伸べるのに対し、未公認である感受性のマイノリティや社会不適合者、ニート等の「弱者」に対しては全く微塵の配慮もない。

「運動会が嫌だ」「給食が嫌い」「明るく元気にが嫌い」「みんなでワイワイするのが嫌い」な人に対し、救えないほど鈍感であり、自分のマジョリティの感性を全く疑わない奴らに「おめーらふざけんな!!」ということだ。完全に共感できる。

世の中のマジョリティは自分の感性が普通であり、他人も確実にそういう感性であるという前提で物事を進めようとする。「いや、ちょっと待って、私は違う...」というマイノリティの感性をまるで道端に落ちている石ころのように気にも止めない。

確実に存在しているのに、存在しないかのごとく華麗なるスルーを繰り返している。

そうやってマイノリティは常に譲り続けている。譲ることしかしていない。それなのにマジョリティは何が「譲り合おう」だバカ野郎という話である。僕もいつも譲っている。

中島氏はそんな「感受性のマイノリティ」に対し、自分で自分を救うために、自分のことだけを考え、「強い自己中心主義」に邁進すべきだと言っている。

「死」という避けられない不幸

中島氏は、いずれ死んでしまうという「絶対的不幸」の枠組みの中にいる以上、人間は幸せにはなれない。とよくおっしゃる。

僕はこの点はあまり同意できない。確かにいずれ死んでしまうのだが、それまでに幾分楽しめれば、充実できれば、なんぼかマシ(幸福)なんじゃないかと思うからだ。

ということなので、その点に関しては僕は僕の幸せを追求したいと思っている。

まとめ

中島氏の本は結構すらすらと読めてしまう。なぜならば彼の世の中を見る解像度の高さと的確に言語化された文章は、なんだか読んでいて気持ちいのだ。

あと、今回の「カイン」では、世の中へ迷惑をかけて復讐をするという発想も面白かったな。感受性のマイノリティであるならば、気持ちはとてもわかる。

このように、読んでいて斜め上の発想に出会えることも中島義道氏の本の魅力だと思う。

 

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