量産型女子はなぜ生まれるのか?
なぜこうも女の子は量産型が多いのか?ということを僕は常々感じてしまう。
何というか、、世の中が右へ動けば右へ、左へ動けば左へ、、プカプカとしている。自分の中で導き出した確固たる「考え」がないように思えてしまう。
なぜ日本で量産型女性が生産されるか国際ナンパ社会学者が考えた | 豪商元年のオリンピック~ナンパはスポーツだった~
有名ナンパ師のクラトロさんという方も日本人女性には量産型の女性が多いとおっしゃっている。
クラトロさんの見解としては「日本人の女性の多くは将来主婦になるからであり、それが原因ではないか」とのこと。
「結婚して主婦になる」これが量産型女子を生産していく根源。主婦になるのであれば、キャリアを考える必要がない。スキルが必要ない。未来にコミットする必要がない。
(略)
もしも私が「結婚して誰かに養ってもらう将来」をぼんやりと描いていたら、シンガポールに留学しなかっただろう。未来から逆算して現状足りないものを考えた結果の行動。結婚して妻と子供を養う。私も、独身の友人のほとんどが同じ考えを持っている。だから将来にコミットしようとみんな生きている。これが日本における結婚適齢期(アラサー)の男女の違いではないか。
とても納得のいく考え方だと思う。結局のところ、量産型といわれる世の中の女の子は「自分の人生の舵を自分で取っていない」ように思える。「いつか誰かの船に乗るのだから」という考えが彼女達の危機感や主体性を欠き、受け身にさせてしまうのだと思う。
だから今を楽しめばとプカプカ流されてしまっているように思える。結果、考えることが苦手なプカプカ系女子が多い気がする。
もちろん男はそうでないかと言えば、男も量産型は多くいると思う。しかし、女性よりは少しマシな気がする。
きっとこれらは昔から続いた「男尊女卑的な社会」、「女は一歩さがって慎ましく的な社会」の名残なんだろうな。
僕はそんな量産型の女の子に少し退屈さを感じている。女の子が好きだからこそ、可愛いだけじゃなんか物足りないと感じてしまう。