「近くにいる」ことの重要性について。
電話が発明されて、遠くの人ともしゃべれるようになった。
携帯電話の誕生で、外にいても人と繋がることができるようになった。
ビデオ通話で相手の顔を見ながら話せるようになった。
スマホやチャットのおかげでコミニケーションの敷居はさらに下がった。
テクノロジーの進化により、人との「距離」はどんどん縮まったと思う。そしてこれからも縮まるのだろう。
しかしながら、これだけ「距離」を超越するテクノロジーも、僕は「そばにいる」という物理的な近さというものには到底及ばないと感じている。
結局のところ、電話や、チャットでさえも「用」がなければ連絡をしたりしない。ある程度目的とか、伝えたいことがないとやり取りしたりしない。確かに、そもそも用がないわけだし、本質的にはそれでいいのかもしれない。
でも「近くにいる」と、特に用がなくても話したり、どうでもいいことに共感したり、そこから笑いが生まれたり、なんかそれで気が紛れたり、すごい小さなやり取りの積み重ねから自分と相手だけにしかないノリが生まれたりする。
正直うまく説明できないけど、「用」のないコミュニケーションの果たす役割ってそこそこ大きいような気がする。なんか曖昧だし、言語化できないから軽視されているけど。
僕のお婆ちゃんは携帯電話をもっていて、実質、僕とお婆ちゃんは繋がろうと思えばいつだって繋がることのできる状況にある。
でも特に用もなければ、話すこともないので滅多に連絡をとらない。だけど、一緒に住んでいれば、きっと話すこともあるし、笑ったり、関心したりすることもあるだろう。
どれだけ便利な世の中になって、いつでもどこでも繋がることが可能だとしても、「物理的に近い」という状態にはどこまでいっても敵わない気がする。
ヤフーがリモートワーク制度をやめたのも、そんな理由なんじゃないかな。業務をこなすだけなら理論上リモートワークでもOKなわけだけど、やっぱり近くにいて同じ時間を共有するからこそ生まれる何かがあり、それが意外と大事だったりするからに違いない。
世界のどこへいても繋がれる時代にありながら、結局はどこまでいっても、人間にとって「近くにいる」という状態はまた別格なんだなと思う。