僕は低カロリーな意識高い系
僕はベクトルは一般的な意識の高い人のそれとは違うが、たぶん意識高い人だと思う。
ただ、目指しているのは、スキルアップだとか、社会への影響力だとか、起業家だとか、そんなのではない。
もっと小さい、半径3mぐらいの幸せ、とにかく居心地のいい居場所が欲しいだけだ。
でも僕は意識の高い人、スキルアップだとか、社会への影響力だとか、起業家だとか、そういう人の気持ちはよくわかる。
なぜなら僕もそういうのに憧れた時期があった。高みを目指したい、お金も不自由したくない、お洒落なパーティーでシャンパン飲みながらビジネスについて熱く語ってみたい。そう思うことはあった。
今となっては別に興味はないけど、でも自分にそうなれる実力があったらそうなっていたかもしれない。
いや、一度はそれを目指していたと思う。
でもそううまくはいかなかった。だから切り替えた。とにかく今は小っちゃな小っちゃな幸せを確保するだけで精一杯、むしろそれさえも達成できるかわからない。
本当に意識高い人って、僕はそもそもある程度稼ぐ力がないと成り立たないと思う。稼ぐ力が伴っていないと意識高い(笑)になってしまうと思う。
僕みたいに、記憶力は弱く、頭の回転も鈍い、忍耐力がない、そんなスペックの低い人間はいわゆる意識高い人になりたくてもなれない。
例えば僕という人間をスマホで例えてみる。僕の思想はSIMカード、能力は本体だとしよう。
そして、シリコンバレーだとかその辺の意識高い人のSIMカードを僕の本体に入れたとしよう。さあどうなるか?たぶん理想と現実のギャップに打ちひしがれると思う。
なぜならば僕の本体のスペックはガラケー並みだからだ。どんなに意識が高くても所詮はガラケー。同じく意識の高いスマホには敵わない。いや、意識の低いスマホにすら届かないかもしれない。
そんな状態で意識高い人でいつづけられるだろうか?無理である。だって辛いもん。ついていけないもん。そこで生きていくぐらいなら、いっそ路線変更して自分の小さな幸せを求めた方が簡単だ。なんとか自分の居場所を確保する方が先決だ。というか今となってはそっちの方が幸せとしては本質に近いと思う。
そもそもグローバリズムだとかシリコンバレーだとかそっち系の意識高い人は、能力あってはじめて意識高い人であれるのだ。
僕は昔は結構意識高い系だったと思う。だけど能力がついていかず、意識高い系(笑)みたいになっていたかもしれない、で、結果的に低カロリーな意識高い系になった。
意識高い人に言わせれば向上心のないスローライファーに見えるかもしれない。「なんでもっと上目指さないの?もったいない」と言われるかもしれない。
しかし、それは違う。能力のない僕にとってそのカロリーの高い生き方はただ辛いだけなのだ。キミたちが想像する何倍も過酷なのだ。
で、今は結局できる範囲で自分の幸せを目指している。
そして、そこに対しては堕落せず、少しでも日々成長したい。カロリーは低いが意識は高い。
世界は変えられないかもしれないけど、僕は僕の中のかげがえのないものは手に入れたいと思っている。