世の中はクソである。

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居場所がほしい

幸せの目的について

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『人生の目的は幸せになることだ』なんて言葉をよく耳にする。

それは確かに間違ってないと思う。

僕らは幸せになりたがっている。人生、自分の思う幸せに向かって日々歩んでいる。

でも僕はある時ふと思った。

例えば、『痛み』を感じることによって人間は危険を察知し、結果的に生存確率を上げている。それと同じように『幸せだ』と感じることも、なんらかの生物的なメリットがあるからこそ、そう感じるのではないか。そこに向かっているのではないか。

たぶん、人と人との繋がりに幸せを感じるのは、そうなることで結果的に人と人とがくっつき、恋愛し、繁殖につながるという生物的メリットがあるからこそ、そこに『幸せ』を感じるのだろう。

つまり僕たちは『幸せ』を目的として生き、副産物として生物的メリット(繁殖など)を得る。しかし、実はその副産物こそ真の目的であり、『幸せ』という感情はその為の単なるエサなのだ。

そしてその企みは遺伝子によるものだろう。

 

僕らは勝手に『幸せになること』を人生の目的と設定し、あれやこれやとやって生きている。

遺伝子の手のひらでまんまと踊りまくっている。

とは言え、結局はそれに逆らう理由もないので、僕も僕を幸せにするためにあれこれやるのだが。