世の中はクソである。

世の中はクソである。

居場所がほしい

競争を降りる方法。自分のモノサシの作り方。

「見栄をはるな」「プライドを捨てろ」「周りと比べるな」とよく言いますが、言うのは簡単。しかし、このような「社会的評価」を気にせずに生きるということは、実際なかなか難しいことだと思います。

「勝ち組」「負け組」という言葉がありますが、実際は勝ち組でなくとも負け組でなければまだ自分のプライドを保つことができるでしょう。

しかし、問題は「負け組」とよばれる「社会的赤点」の人達。社会的評価基準で測られ、負けてしまう彼らのプライドは傷ついています。

競争を降りたい

僕も基本「仕事ができない奴」なので常に社会的赤点の人です。まともにやりあっても敵わないので自分が勝てることを探したり、最低限自分の尊厳を保てる居場所を探したりしました。

ニート、季節労働、フリーター、海外バックパッカー、シェアハウス...色々と生き方を模索しました。そしてその間、友人と会えばイジられ、舐められ、それを振り払うのは容易ではありませんでした。

一時期は「ナチュラリスト界隈」に属し、一般的な社会的評価の及ばない居場所に身を置こうと思ったこともあります。

ナチュラリスト、ヒッピー、自給自足、その辺りのコミュニティはお金をもってるとか、社会的にどうとか関係ない、社会的価値観からこぼれ落ちた人達の溜まり場になっていました。

ただ、僕にとってナチュラリスト界隈はどこか宗教的な胡散臭さがあり、どうしても好きになれませんでした。

僕の中の基準が揺らぐ

結局、社会的に勝てる算段もつかず、尊厳を保てる居場所も見つからず、しばらくの間引きこもりました。

そしてあることに気づいたのです。「勝ち組」にならないと幸せになれないのか?ということです。

僕の中では答えはノーでした。僕は人生で一度も勝ち組になったことはありませんが、決して不幸ではなかった、むしろ楽しいこともいっぱいあったからです。つまり幸せの本質はそこではないなと。

そう思った時、僕の中ではじめて「社会的評価基準」が揺らぎました。

なんだかんだ人はプライドの生き物で、「負け組」でありながらヘラヘラとすることは絶対にできないと思います。

そんな時はそもそもの勝ち負けの基準である「社会的評価基準」を「自分的幸福基準」にシフトするといいと思います。

いわゆる「自分のモノサシ」ってやつですね。自分のモノサシをもつと社会的な勝ち負けの感覚が薄まります。そして「自分的満足」を追求するようになります。

そして重要なのは自分のモノサシをもつために「勝ち組にならないと幸せになれないのか?」「自分の幸せとは何か?」という問いを徹底的に考えることだと思います。

この思考過程を疎かにすると、結局本当の意味で自分のモノサシをもつことができません。すぐにブレると思います。

まとめ

僕はこうして、見栄をはることなく、周りと比べることなく、人目も気にならなくなりました。「勝ち組」「負け組」のような「社会的評価基準」から脱却することができました。

ポイントは「自分のモノサシをもつこと」、そして最も重要なことは「勝ち組にならないと幸せになれないのか?」「自分の幸せとは何か?」という問いを徹底的に考えることです。

自分の幸せを定義できれば後はそれに沿って生きるだけ。それでも社会的評価を全く気にしないことは難しいですが、半分は肩の荷を下ろすことができます。

世の中には不毛な競争に巻き込まれ、日々消耗している人が山のようにいると思います。日々の忙しさの中で、自分と向き合い考える余裕がない、そして考えないからまた明日も不毛な戦いを強いられる。

そんな人に少しでもこの記事が役に立てればいいと思います。