人はなぜ幸せを求めるのか?について生物学的に考える。
「幸せになりたいですか?」という質問に「いいえ、私は幸せになりたくありません」と本心で答える人は地球上に何人いるだろうか?
人は皆幸せになりたいと願う。幸せに向かって日々過ごしていると思う。しかしながら、「なぜ人は幸せになりたいのだろうか?」、、、そんな問いがふと頭をよぎったので黙々と考えていた。
そこでまず思ったのは、人間、必要のない感情や機能は備わっていないだろうということだ。例えば、目とか耳とか怒りとか悲しみも必要だから備わっている。
だとすると「幸せになりたいという気持ち」も何かしら必要だから備わっているはずだ。更に、この欲求はとんでもなく大きな欲求なので、相当人間にとって必要な感情であるはず。
そう考えると、「幸せになる」ということで何か「生物的なメリット」があるのではないかと思った。
その生物学的「メリット」として一番考えられるのは、「子孫を残す」ことだと思う。
つまり、幸せになるということは子孫を残す上で有利なことなんだと思う。だから人は幸せを欲するように遺伝子にプログラムされているのだ。
例えば、人から認められることは幸せだと思う。これは、社会的な動物である人間にとって、人から認められることは子孫を残す上で有利だから。だから幸せを感じるようにプログラムされているんだと思う。
誰かと繋がることで幸せを感じるのも、もしそんな感情がなければ、子孫を残す上で不利になるからだ。
お金や権力に幸せを感じる人も、その欲求があると「子孫を残す」ということにおいて有利だからだと思う。
逆に幸せを感じていない状態のときは「虚しさ」「寂しさ」を感じ、「このままではいけない」という感情にさせるようにできている。
つまり「幸せになりたいという感情」は「子孫を残す」ための遺伝子サイドの「都合」であって、それを僕たちは勝手に人生の目的として生きているんだと思う。
なので僕たちの幸せになりたい欲求、なれないと不幸を感じてしまう現象は、我々の遺伝子の「子孫を残せ」という圧力なんだと思う。