世の中はクソである。

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居場所がほしい

田舎が窮屈に感じる理由

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僕は田舎に住んでいる。ニートだ。まぁ田舎にも規模があって、でっかい田舎だったり、限界集落的な田舎だったりピンキリなんだけど僕が住む田舎はまぁ人口4万人ぐらいの小さい規模だと思う。

僕は断然都会の方が好きだし、過去の記事でも都会万歳的な記事を書いていたんだけど、まぁ最近になって、田舎っていっても規模もピンキリだし、人間求めるものも違うし、田舎の方が居心地がいいって人も当然いるわなぁと思うようになってきたので、別にどっちがいいとかもう言うつもりはない。

ただ、僕は今まで田舎に住んできてとても窮屈な思いをしてきた。だけど、じゃあ「なぜ窮屈なのか?」ということがよくわかっておらず、言語化できなかった。

なんとなく窮屈だ。村社会だからだ。でも村社会ってなんだ?とか、なんかよくわかんないまま漠然窮屈だった。

でも最近それがわかった気がするのでいくつか理由をあげてみる。

理由1.人目が気になってしまう。

やっぱり田舎は狭い。狭いし、それが地元であれば小中高時代の知り合いとかにたまに会う。それが嫌なんだ。

今でこそ「ニートです。テヘペロ」的な勢いだが、正直それでもできれば会いたくない。今更何を話していいのかわからないし、自分のことを聞かれても何て言ったらいいのかわからない。

いずれにせよ知り合いに会うのが嫌なので、スーパーやダイソーとか買い物に行くときは深めに帽子を被っている。

理由2.家族連帯責任である。

田舎というのは狭いのですぐに噂が広まる。どこどこの息子さんが結婚したとか、娘さんが離婚して子供連れて帰ってきたとか、家でも親が話していることがある。

ということは自分もどこかの誰かさん家では「ひきこもってる」とか言われているのだろう。そんなことを考えると、コンビニでエロ本を読むことさえできない。

いずれにせよいい噂も悪い噂もすぐに広まるので、田舎ではあまり無茶なことはできない。自分だけなら全然OKだが、家族連帯責任なのだ。

理由3.みんなといい関係でいなくてはならない。

田舎が窮屈に感じる理由の最大の理由がこれだと思う。やっぱり狭いので誰かと揉めたり衝突したりできない。関係を悪くしては自分自身、または家族が生きづらくなってしまうからだ。

つまりみんなといい関係でいなくてはならない。嫌なことがあっても嫌だといえない。会社で理不尽なことがあってもNOといえない。

会社で社長と揉めて辞めてしまえば、噂になるし、近所で鉢合わせになったら気まずいし、また、同じ職種で違う職場があるかどうか...。

だから田舎におけるコミュニケーションは「波風立てず」が正解なのだ。本当に4万人ぐらいの規模だと、なんかしでかしてしまった場合、もうそこには住めなくなるというのはあると思う。

 

 

以上が田舎が窮屈に感じる理由だ。まぁ半分は田舎というよりも地元+田舎という感じだけど。地元ではない田舎で、規模も小さすぎない田舎であれば、そんなに窮屈に思わないのかもしれない。

最後に、都会のメリットを一言で言うなれば「選択肢」の多さだろう。選択肢が多いことは無条件で善だと思っている。特に変わり者であればあるほど、都会の方が居心地のいい居場所が見つかりやすいと思う。

また、最近思う田舎のメリットは自分の影響力が町全体に届きやすく、生活しているという実感、地域の人と繋がっているという実感がもちやすいところだろうか。

まぁ一長一短あると思うけど、とにかく田舎が窮屈に感じる理由はそんなところだ。