ボクはもっと議論がしたい。
会社の飲み会は元より、プライベートでもそうだけど、日常生活において「議論」をする機会が少ないなと思う。もちろん議論をする「場」なんてほとんどないんじゃないかな。
もっと真剣十代しゃべり場のように、あれぐらい真面目なトーンでお互いの考え方を語り合いたい。
正直言うと、最後は「結局考え方は人それぞれだよね」とヘコヘコ終わらせず、お互いが完全に納得できるまでとことん議論し合いたい。
お互いが納得できるまで帰れま10だよね。たぶん本当に帰れない可能性あると思うけど(笑)
論破されても、それで真理に一歩でも近づけれるのであればそれに越したことはない。「そんな考え方があったのか」とアッと驚くような反論をされたい。
でも日常でそういう機会ってないんだよね。真面目な話をしようとすると「なに真面目なこと言っちゃってるの?ww」とか、すぐクソつまらない冗談で流されてしまう。
これから結構面白い議論が始まるかもしれないって時に、あのクソつまらない冗談で話題を変える人って頭どうなっているんだろう??
お前のつまらない冗談で起こる一瞬のしょうもない笑いで、後の、もしかするととんでもない発見があるかもしれない「議論」を潰しているということがわからないのだろうか?
僕は日本人が議論しないのは、結局のところ議論どうこうの前に、そもそも自分の考えが特にないからなんだと思う。だから別に主張もないし、議論が成立しない。
それは過去記事でも述べたが、日本の洗脳教育により思考力が育たなかったことと、縦社会文化によって年上の人に対する議論の余地がなかったからだと思う。
別に議論といっても、そんな原発問題とか安保法案についてとか難しいことを議論しようと言ってるわけじゃない。
「なんでサンドイッチマンってこんな面白いんだろう」とか、日常でちょっとその「なぜ」に迫って意見を交換してみようという話なのだ。
何というか、、、特に何も考えず「偉い人がこういったからこうだ」とか「みんながそう言ってるからそうだ」とか、、、何かもううんざりします。
「与えればいつか自分に返ってくる。」たぶんこの言葉に反論する人はいないと思います。でも「本当?」と疑う余地はあると思うんです。
— ポルコロ (@porco_ro) 2017年2月27日
僕はいつだって、何に対しても「本当か?」と疑う余地は絶対にあると思うのです。それが世の中の常識と呼ばれていることであれば特にそうです。
もっと議論して世の中の「おかしなこと」を暴いていかないと、社会は間違った方向に進み死人がでると思うのです。
現在の、過労死問題、自殺者問題、社会不適合者の増加、、元を辿れば一人一人がしっかりと自分の頭で考えず、議論をしてこなかったからだと思います。
この度の残業問題も、あれだけ騒ぎになったのに結局大して変わっていない。きっとこの国はまだまだ人が死なないと変わらないんじゃないかと思います。
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