世の中はクソである。

世の中はクソである。

居場所がほしい

自分にとって意義のある仕事をするということ。

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仕事とは「こうだったらいいのに」という誰かの足らぬを満たすこと、つまり仕事の本質は問題解決だ。

綺麗になりたいから化粧品が存在し、退屈だからエンターテイメントが存在し、繋がりたいからSNSが存在する。

なので仕事をすることは誰かの役に立つことであり、本来喜ばしいことである。
しかしながら、なぜこうも満たされないのだろうか?なぜこんなに働いているのに虚しいのだろうか?

それはきっとその仕事に対して意義を感じていないからだと思う。

だから、「自分が辞めてもこの会社は何の痛手もないだろう」とか、「自分がいなくても社会は回る」なんてことを考えてしまう。

 

僕は以前フレッシュジュース屋でバイトをしていた。その時思ったのは、お客さんの「ありがとう」が全然自分に刺さらないということだった。

フルーツをミキサーにかけジュースをつくり客に提供する、、、僕はそこに何の思い入れもない。だから感謝されても、「まあ仕事だからやってるだけだ」と思ってしまい、全然刺さらない。

たぶん、健康や果物、また接客をするという行為に何かしらの思い入れがあれば、お客さんの「ありがとう」は幾分刺さるのだろう。

自分のする仕事に対して特に思い入れなんてないから、結局収入や待遇、社会的ポジションばかりを気にしてしまう。意義がないから、損得やコスパでしか考えない。

意義があれば競合なんていなくなる。なぜならば周りの存在なんてどうだってよくなるからだ。ひたすら"自分はやる"ということだけ。やることに既に意味があるからだ。

 

意義というものは見つけるものではなく、見つかるものだと思う。たぶんある程度歳を重ねないとわからないものだろう。

自分にとって意義のある仕事とは、これまでの人生で一番思い入れのあることや、一番悩まされたことに関係すると思う。

自分が価値を感じているものを世の中に広めたり、長年苦労して辿り着いた解決策を社会に還元していくことだと思う。

そして自分の中で確かな意義を感じることができれば、仕事に虚しさを感じることも少なくなるのではないか。

世の中自分でなければならない仕事なんてないが、自分の中だけでもせめて、「おれがやるんだ」みたいな勝手な使命感をもちたい。

そしてそれはもう突き詰めると仕事でも仕事でなくてもいい、"仕事"という概念を超えた「人生の目的」のような話になるのかもしれない。

 

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