幸せの目的について
『人生の目的は幸せになることだ』なんて言葉をよく耳にする。
それは確かに間違ってないと思う。
僕らは幸せになりたがっている。人生、自分の思う幸せに向かって日々歩んでいる。
でも僕はある時ふと思った。
例えば、『痛み』を感じることによって人間は危険を察知し、結果的に生存確率を上げている。それと同じように『幸せだ』と感じることも、なんらかの生物的なメリットがあるからこそ、そう感じるのではないか。そこに向かっているのではないか。
たぶん、人と人との繋がりに幸せを感じるのは、そうなることで結果的に人と人とがくっつき、恋愛し、繁殖につながるという生物的メリットがあるからこそ、そこに『幸せ』を感じるのだろう。
つまり僕たちは『幸せ』を目的として生き、副産物として生物的メリット(繁殖など)を得る。しかし、実はその副産物こそ真の目的であり、『幸せ』という感情はその為の単なるエサなのだ。
そしてその企みは遺伝子によるものだろう。
僕らは勝手に『幸せになること』を人生の目的と設定し、あれやこれやとやって生きている。
遺伝子の手のひらでまんまと踊りまくっている。
とは言え、結局はそれに逆らう理由もないので、僕も僕を幸せにするためにあれこれやるのだが。
脳にとって、快感は目的ではない。幸福は目的ではない。彼(脳)は、快感や幸福をニンジンのようにぶらさげて他のことをさせようとしているのだ。種や生命の保存あたりが目的だと考えられるが、僕たちがニンジンによって動かされていることに間違いはない。つまり自分の脳には自分以外の存在がいる
— 水野敬也 (@mizunokeiya) 2017年6月18日
僕は低カロリーな意識高い系
僕はベクトルは一般的な意識の高い人のそれとは違うが、たぶん意識高い人だと思う。
ただ、目指しているのは、スキルアップだとか、社会への影響力だとか、起業家だとか、そんなのではない。
もっと小さい、半径3mぐらいの幸せ、とにかく居心地のいい居場所が欲しいだけだ。
でも僕は意識の高い人、スキルアップだとか、社会への影響力だとか、起業家だとか、そういう人の気持ちはよくわかる。
なぜなら僕もそういうのに憧れた時期があった。高みを目指したい、お金も不自由したくない、お洒落なパーティーでシャンパン飲みながらビジネスについて熱く語ってみたい。そう思うことはあった。
今となっては別に興味はないけど、でも自分にそうなれる実力があったらそうなっていたかもしれない。
いや、一度はそれを目指していたと思う。
でもそううまくはいかなかった。だから切り替えた。とにかく今は小っちゃな小っちゃな幸せを確保するだけで精一杯、むしろそれさえも達成できるかわからない。
本当に意識高い人って、僕はそもそもある程度稼ぐ力がないと成り立たないと思う。稼ぐ力が伴っていないと意識高い(笑)になってしまうと思う。
僕みたいに、記憶力は弱く、頭の回転も鈍い、忍耐力がない、そんなスペックの低い人間はいわゆる意識高い人になりたくてもなれない。
例えば僕という人間をスマホで例えてみる。僕の思想はSIMカード、能力は本体だとしよう。
そして、シリコンバレーだとかその辺の意識高い人のSIMカードを僕の本体に入れたとしよう。さあどうなるか?たぶん理想と現実のギャップに打ちひしがれると思う。
なぜならば僕の本体のスペックはガラケー並みだからだ。どんなに意識が高くても所詮はガラケー。同じく意識の高いスマホには敵わない。いや、意識の低いスマホにすら届かないかもしれない。
そんな状態で意識高い人でいつづけられるだろうか?無理である。だって辛いもん。ついていけないもん。そこで生きていくぐらいなら、いっそ路線変更して自分の小さな幸せを求めた方が簡単だ。なんとか自分の居場所を確保する方が先決だ。というか今となってはそっちの方が幸せとしては本質に近いと思う。
そもそもグローバリズムだとかシリコンバレーだとかそっち系の意識高い人は、能力あってはじめて意識高い人であれるのだ。
僕は昔は結構意識高い系だったと思う。だけど能力がついていかず、意識高い系(笑)みたいになっていたかもしれない、で、結果的に低カロリーな意識高い系になった。
意識高い人に言わせれば向上心のないスローライファーに見えるかもしれない。「なんでもっと上目指さないの?もったいない」と言われるかもしれない。
しかし、それは違う。能力のない僕にとってそのカロリーの高い生き方はただ辛いだけなのだ。キミたちが想像する何倍も過酷なのだ。
で、今は結局できる範囲で自分の幸せを目指している。
そして、そこに対しては堕落せず、少しでも日々成長したい。カロリーは低いが意識は高い。
世界は変えられないかもしれないけど、僕は僕の中のかげがえのないものは手に入れたいと思っている。
出会いを科学するm-gram(エムグラム)というサービスをガチで応援している
今日は僕が近年で一番応援しているサービスを紹介します。
・株式会社LIP
一時期ツイッターとかで流行ったと思うのですが、エムグラム診断というやつです。
ちなみにこれが僕の性格診断結果(てきとーに名前をつけたので名前はうんこです。うんこを構成するて笑)
色々と質問に答えていくと自分の性格がわかるというやつなんですが、正直ここまでは今までもこういうのあったので特に驚きはしませんでした。まぁ精度とか詳しくは知りませんが。
でもこのサービスってこの診断を基に、ゆくゆくは「科学的に相性のいい人同士をマッチングさせよう」というものなんです。
これを知って僕はキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!と思いました。
こういうの欲しかったんです。というのも、僕はずっと、世の中の出会いって非合理的すぎるって思っていたからです。
自分が住んでいる地域、クラスメイト、職場、ちょっとした趣味のサークル、その辺で接点の多かった3、40人程度の中で、たまたま少しいい感じになった人と付き合い、まぁ流れで結婚、みたいな。
でも世の中にはもっと多くの人がいるわけです。ブルゾンちえみじゃないですが35億いるわけです笑 もっと自分と相性がいい人を見つけたいと僕は思ってしまいます。というか世の中で一番自分と相性のいい女性ってどんな人なんだろうと想像するとワクワクしてしまいます。
また、ネットでの出会いも徐々に増えてはいますが、プロフィールみて、まぁ何となく合いそうだなぁとは思うものの、結局は合ってみなきゃわからない要素が強すぎる、、、出会いの選択肢は増えたけど、結局はかなり「運」みたいな。
僕は正直これだけネットが普及し科学も進歩しているんだから、むしろもう少し早く「科学的なアプローチからのマッチングサービス」みたいなのは在ってもよかったんじゃないかと思っています。
現時点最強の大手マッチングサービスのペ〇ーズですら、未だに相性に「星座」とか取り入れちゃってるわけですからね。正直「バカじゃねーの、いつまでそんなことやってんよ」と苦笑いてしまいます。
僕は以前に記事で「幸せとは人である」と述べたのですが、本当に人との出会い次第で人生は変わると思っています。それだけ出会いとは幸せにとって重要な要素。だからこそもっと合理的に、偶然ではなく、出会いを科学して欲しかった。こんな時代なんだから。正直、なんかできることがあればこの会社に携わって、このサービスを一歩でも前進させたいぐらいです。
最後に、株式会社LIPと代表の松村有佑さん頑張ってください!応援しています。
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必要以上の恋愛感情はやや邪魔なのではないか
人を好きになることはこんなにも素晴らしい事だったのか、と思ったことがある。それはある意味麻薬のようなもので、一種のゾーン状態に入っているような感覚だと思う。恋は盲目であり、好きな相手のことしか見えなくなる、そして好きな相手であれば何をやっても許される。
こうした恋愛感情は必要か否かという話はそもそもおかしいかもしれない。必要かどうかというより、そもそも人間の進化の過程で、おそらく恋愛感情の強い人達が繁殖において優位だったに違いない。そして現在生きているのが我々であり、ただの結果論にすぎない。
さて、僕が今回言いたいことは、恋愛感情のような強力で衝動的な感情は、人間の「繁殖」にはとても機能しているが、それ以外のところでは結構邪魔なんじゃないか?ということだ。
例えば、勘違いで人を好きになる恋愛って多いと思う。人って結構接点が多いと好きになったりする。職場が同じだと嫌でも接点が多いから恋愛感情が芽生えやすいし、一回セックスしただけで、その人のことが好きになったりする。
これは一言で言うと「錯覚」なのだ。勘違いなのだ。そこまで相手の深い部分まで知らなくても、接点や接触が多いと好きになる。
だから好きという気持ちが醒めると(魔法が解けると)、今までの関係性はなんだったのかという感じで突然別れたりする。
魔法にかかってたから一緒にいれたけど、魔法が解けたら、なんでこの人と一緒にいるんだと我にかえる。
それは人類の繁殖という点ではいいかもしれない。勘違いだろうがなんだろうが、恋愛感情によってセックスして新しい生命が宿る。
でも人間というのはセックスと人生のパートナーや家庭を築くみたいなのが一応セットだったりする。
だからパートナーと長く安定した関係性を築きたいのであれば、パートナーを選ぶ際はむしろ恋愛感情に騙されず、冷静に相手を見極めるべきだと思う。
魔法が解けても一緒にいれるかどうかを。
そういう意味でいうと、必要以上の恋愛感情はその判断を鈍らせる。曇って見えなくなってしまう。それが恋愛のロマンチックな部分でもあるのだが。
巷には恋愛体質の人が結構いる。人をすぐ好きになる人達だ。そういう人はすぐに誰かを好きになっては、醒める、そしてまた別の人を好きになっては、醒める。を繰り返している。
出会いのきっかけさえあればすぐに人を好きになり、衝動的にセックスをし、もっと好きになり、前の人に醒める。
恋愛感情は麻薬のようなものであり、本来そこまで人としての相性がよくない相手でも、いいように錯覚してしまうものだと思う。それは人間の繁殖においては機能しているが、舞い上がってしまうが故、自分にあったパートナーを見極めることに支障をきたす。また、一夫一婦制におけるパートナーとの安定的な関係を築くのに向いていない。であるならば、必要以上の強い恋愛感情は、やや邪魔なのではないかとふと思った。
居場所が欲しい
あぁ、みんな居場所があっていいなぁ
忙しいながらもなんやかんやで悪くない職場があって、自分のポジションがあって、刺激はないけどまぁ悪くない人間関係があって、たまに愚痴を聞いてくれる仲のいい同僚が一人ぐらいいて、一人でゆっくりとできる家があって、休日は一応やることがあって、たまに異性といい感じになったりして。
こんな強大な社会のごくごく一部のちっちゃな歯車だけど、それはそれで小さな歯車として、一応はハマる所があって、いいなぁ。
僕には何にもない。積み上げてきたキャリアも人間関係も、費やしてきたことも。今となって、ごくごく当たり前のことがとても羨ましい。
毎日は退屈だ。同じことの繰り返しだ。だけどそれでも安定している。悪くないと思える生活がある。そしてたまに面白いこともある。僕はそんな人生が嫌だった。つまらないと思っていた。もっと周りを驚かせることがしたかった。だけど今は羨ましい。普通が羨ましく思える。
僕にはもうそれさえも叶えることは難しいかもしれない。
ささやかでいいから、ピタリとこなくていいから、何となくでいいから、自分の居場所が欲しい。居てもいいって言ってくれる人が欲しい。そして自分の人生をちびちびと暮らしたい。