消費者の「ありがとう」が労働者にあまりにも届かない。
ブログを書いていて思う。やっぱり少ないながらも読んでくれる人がいるっていうのは素直にうれしい。もしかしたら誰かの役に立っているかもしれない、誰かが面白がって読んでくれているかもしれない、と想像すると「よぉし書いてやろう」とモチベーションが上がるものだ。
さて、現代社会の労働は分業化されすぎていて消費者の「ありがとう」が労働者に全く届いていないと思う。あまりにも労働者が歯車として「一部品」になりすぎている。
ひと昔前までは、自分で考えてて自分で作って自分で売ることが主だったからダイレクトに消費者の「ありがとう」が届きやすかったと思う。
しかし今の労働市場は考える人がいて作る人がいて売る人がいて管理する人がいて広告する人がいて..「ありがとう」が届くのは一番お客さんに近い売る人のみで、それも売る人も自分で作ったわけじゃないから感謝されても「別におれがつくった訳じゃねーしなぁー」とイマイチ実感が薄い...。
資本主義において仕事を分業化するということは合理的である。しかしそれは「生産性」「利益」として最善であっても、やりがいという「幸せ」の観点からみて理想的ではないと思う。そこはきっとバランスなんだと思う。現代の労働市場はあまりにも偏りすぎている。
消費者にとって生産者側のやりがいなんて関係ないかもしれないが、私たちは常に消費者であり生産者側でもあるのだ。ぼくはもう少し「ありがとう」の届く範囲で仕事がしたい。自分で考え自分で作り自分で届けたい。それでいて従来の屋台とはまた違う、屋台2.0みたいなスタイルが理想的だ。