美味しいとか、美しいとか、面白いとか、それすらも自分の感性に従えないのか。
「老舗」の料理屋って実は大したことのない店が多い。もちろん全てではないが、僕の感覚だとそう感じる。
おそらく老舗というのは自らのブランド力に「あぐらをかいている」から、いつまでも味が進化しないんだと思う。なので期待したわりに肩すかしをくらうことが多い。
しかしながら、そんな店を「老舗だから」という理由でありがたがって食べている人が多い。彼らは目の前にある料理を味わっているのか、それとも老舗というブランドを味わっているのか。
名のあるレストランの料理だってイマイチなもんはイマイチなんよ。それを言うと「わかってないねぇ」なんて笑われるが、それを恐れて「美味しかった」と自分に言い聞かせる人が多いこと。感性なんて100%自分主体でいいんだよ。なぜすぐ迎合する?気持ち悪い。
— ポルコロ (@porco_ro) 2017年4月24日
味なんて特にそうだと思うけど、自分が美味しいと思ったら、自分以外の全ての人間が不味いと言っても、美味しいんだよ。
自分の感性まで他人の目を気にしていることが気持ち悪いと思うし、たぶんそういうブランドを無条件にありがたがっている人って、既に自分の感性が麻痺しているんだろうなと思う。
自分がそう思うのか、周りが言うからそう思うのか、ごっちゃになっている。
そしてこの現象は「味」に限らず全てにあてはまる。芸術なんて特にそうだと思う。わけのわからん絵に何十億という値段がついている。
しかしながら、その何十億の絵を「わけのわからん絵だ」と言おうもんなら、その人が「芸術をわかってない奴」という烙印を押されてしまう。
でも、その人にとってわけがわからないのであれば、いくら値段が高かろうと「わけのわからん絵」なのだ。逆に、どれだけ値段が安かろうと、ある人にとって素晴らしいものであれば、それは素晴らしいものなのだ。
そしてそれでいいと思うし、それこそが本来の「感性」だと思う。
美味しいとか、美しいとか、面白いとか、それすらも自分の感性に従えない、周りの評価に左右されている人が多い気がする。
なんだか気味が悪い。感性なんて最初から最後まで自分100%で完結するもんだろ。
「自分はこう感じる」という、ただそれだけだろ。