世の中はクソである。

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居場所がほしい

日本の「食」の美味しさは人間の舌をすでに追い越している。

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人間の味覚には限界があると思う。

アジアを旅していた僕は、現地で食事をする度に日本の「食」のクオリティーの高さをしみじみと実感していた。

現地の食堂や宿の料理の中にはごはんに醤油をかけただけの様な「なにこれ?笑」みたいなクオリティーの低すぎる飯が意外と多かった。

そう考えてみると、日本はどこの飲食店に行っても一定水準の美味しさを保っている。そればかりか、吉野家やはなまるうどんなどの低価格チェーンなんかは値段の割に全然いける。

そもそも一人暮らしをするまで気づかなかったが家庭料理ってかなりうまい。

人間が感じることのできる美味しさの限界

僕は食べることが大好きなので、食への意識は高い方だと思う。そんな僕が近年気づいたことがある。

それは日本の「食」は人間が感知することのできる美味しさの限界をすでに越えている。ということだ。

この先も「食」は進歩していくのだろうが、きっと「新しさ」はあっても「美味しさ」はこれ以上伸びないだろう。

なぜならば人間の味覚が進化しない限りこれ以上の美味しさを感知することができないからである。

味にプロとアマの垣根はほとんどない

そしてその味覚の限界料理というのは、星のついた高級レストランの一流シェフのじゃなくても、家庭レベルでもクックパッドを参考にしたりすれば(しなくても)全然つくれる。

現に芸能人の格付けチェック的な番組をみていても、彼らは素人とプロの作った料理の違いを明確にはわかっていない。 なぜならば両方が美味しさの限界点を超えているため、後はもうどちらがプロっぽいかで判断しているからだ。

実際には味の世界にプロとアマの垣根はほとんどない。

ラーメンのように本格的なものを家庭でつくるには設備的な面でハードルが高いとかはあるけれど。 

だから有名なレストランだからといって突き抜けた美味しさがそこにあるわけではない。味ももちろん美味しいのだろうが実際には+aの評価がそこにはある。高級感や雰囲気、エンタメ性、マーケティング、希少性、おもてなし. . .実際にはその辺を人は買っているのだ。

味覚の限界図

人間の味覚には限界がある。

人間の舌は美味さ度100点までしか感知できないとするのに対し、日本の食は家庭料理でさえ余裕で100点を超えるものばかりだ。

つまり人間の味覚が進化しない限り100点以上の料理であればどれも100点(同じ)と感じる。

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まとめ

日本の飯はもう大体なんでも美味しいし、美味しい飯なんて自分でも簡単につくれる。

そしてどこまでも美味しい料理なんて存在しない。なぜならば人間の味覚が進化しない限りこれ以上の美味しさを感知することができないからだ。

日本の「食」の美味しさは人間の舌をとっくに追い越している。