お金をどれだけ稼ぐかで人を値踏む世の中はクソである。
ひろゆきさんbotのツイートでいいつぶやきを発見したので紹介します。
お金を稼がない=意味が無いと考える人が増えてきた気がします。無職でも他人の役にたつ何かをしていれば社会にとっては有益なはずなのに、商業に携わっていないと社会の居場所が減ってきたりするわけです。
— ひろゆきbot (@hiroyuki_ni_bot) 2017年1月7日
世の中にはお金を稼がなくても家の仕事を手伝ったり近所の掃除をしてたりボランティアをしてたり駅前で楽器を鳴らしてたりネットでサイトを作ったり小説を書いたり料理を振舞ったりと、他人を喜ばせるためにすることは一杯あるわけです。
— ひろゆきbot (@hiroyuki_ni_bot) 2017年1月6日
ホントそうだなと思いました。無職でも家の手伝いをしたり、誰かの愚痴を聞いたり、もっと言うと、ある人にとっては「そこに居てくれるだけで価値がある」というのはあると思うんですよ。
しかしながら、金を稼がない=だから無価値である。というのはちょっと違うような気がします。僕自身ニートではありますが、これは働いていた時からずっと思っていました。
どれだけ稼げるかが人の価値を測る尺度になっているというか、金やキャリアに繋がらないことは無価値のような、世の中そんな風潮が強い気がします。
しかも、そもそも人の能力って「お金になりやすい能力」と「お金になりにくい能力」があると思います。例えばプログラミングが得意であればプログラマーとしてすぐにお金を稼ぐことができますし、可愛い女の子であればモデルやガールズバー、ダンサー、接客業などパッとお金を稼ぎやすいです。
しかし例えば「その場の雰囲気を和ます能力」の人って能力が抽象的かつマイナーであったりするためあまりパッとお金にはなりません。社会的にはどちらかと言うとおまけ要素で、あればラッキーという扱いです。仕事より家庭向きの能力だと思います。
なので能力によっても仕事向きかどうかという部分もあるため、一概にお金を稼がないから無価値という訳ではないんじゃないかと思います。
お金をどれだけ稼ぐかで人を値踏む今の世の中は行き過ぎていると僕は思います。