ナチュラリストが嫌いな理由 。
ナチュラリスト。
彼らの物事の判断基準は「自然に優しいっポイかどうか」で決まる。「自然に優しいか」ではなく、「ポイか」だ。
本当にそれが自然に優しいかどうかなんて深く考えていない。
なんせ「スーパーのビニール袋は環境に悪いから」と言って、お洒落なエコバッグを見かけるたびに次々と買う人達だ。
現代社会アンチのくせに大した哲学もないから、その生き方は言葉と行動の辻褄が合わない。
文明を否定といて、ちゃっかり車や携帯などを駆使し、そしてそこはなぜかセーフという自分達に都合のいいルールを導入している。
それでいて、彼らの大義が自然に優しくとか人に優しくとか世界平和のような高尚なものであるから尚更すっとぼけているように映る。
彼らとの会話において行動の動機や考え方の理由を尋ねると決まって「アがるから」とか「フィーリング」とか全てをぼんやりとした言葉で包む。
実際は自分たちでもよく分かっておらず、思考を放棄しているだけである。
フェイスブックを見るとTPPや原発、安保問題にキチガイの様に噛み付いているが、賛成か反対か以前にそもそも実際に自分の頭で考えているのだろうか?どう見ても、特に深くは考えていないように思える。
三宅洋平や窪塚洋介などそっち系のカリスマの意見をただ盲信し、なんとなく人や自然に優しいっぽい方向へただ流れるだけ。そしてそうでないものを拒否するだけ。意見というよりただの反応である。
それでいて面白いことに、彼らの中では「自分たちだけが気づいていて、みんなは気づいていない」というなぜか彼らが選ばれし者的な図式になっている。
ナチュラリストはとても感情優先で基本的に深く考えない。だから支離滅裂な行動をしていることにも気づかないし、感情を揺さぶられるとそのまま理性を介さず進んでいく。
ただ、一つ確かに言えるのは彼らは悪い人ではない。むしろピュアとすら感じる。ただ少し頭がピースなだけだ。