世の中はクソである。

世の中はクソである。

居場所がほしい

本質的ではないが得はする、そんなモチベーションが羨ましい。

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最近旧友に会う機会があり、その際にふとモチベーションについて考えさせられた。

彼はもっと出世したい、もっとスキルアップしたいと仕事やお金に対し非常にエネルギッシュだっだ。

きっとその上昇志向な感じは昔の僕であれば共感できたと思う。しかし、今の僕には理解はできるがあまり興味がなかった。

彼は昔から一貫してそんな感じで変わっていない。つまり僕が変わったからそう感じるようになってしまったのだ。

なので今の僕は彼のその感じに共感できなかったが、一方で、そのエネルギッシュさが少し羨ましかった。

では僕がどう変わってしまったのか?というお話をすると、僕は20代半ばで自分の価値観が大きく変化した。

それまでは "みんな的価値感" を基準に人生を生きていたのに対し、その後は一転して「自分の幸せのモノサシ」を基準に生きている。

要するに、今は「で、それは僕を幸せにするの?」という幸せファーストな考えで生きている。

なので、じゃあ "出世" とか "スキルアップ" とか "金" って僕を幸せにするのか?と考えた時に、僕の中では「それって幸せ的にはあまり関係ないんじゃない?」という結論に至った。

だから出世やスキルアップ、お金にさして興味がなくなってしまったのだ。
まあそれはそれで良いのだが、しかしながら、そういうモチベーションがあるおかげで、人生色々と幅が広がるのも事実である。

例えばWebサイトをつくりたいからプログラミングを学びたい人と、Webサイトをつくってお金を稼ぎたいからプログラミングを学びたい人では、後者の方が圧倒的にモチベーションが高く、プログラミングの上達も早い。

僕は "金銭欲" があまりないためお金に執着することもなく、振り回されることもないが、逆に金銭欲が強い人はそれによって振り回されることも多いけど、それをモチベーションにできることが増えたりして、それはそれでいいよなぁと思う。

しかも別に当の本人はそれを "執着" だなんて思っていない。楽しそうに、むしろ活き活きとしている。

それは僕からすると人生において本質的ではなく、遠回りなモチベーションなわけだが、彼らにとっては重要だからこそ、そこにモチベーションが沸くわけで、その結果、例えばプログラムが書けるようになったり、英語を喋れるようになったりと得るもの得ていて、それはそれでいいなぁと少し羨ましく思ってしまった。

要するに、自分個人のモチベーションによって身につくことが、同時に社会的にも需要(価値)があることだと "お得" ではあるんだよね。